昭和52年09月02日 朝の御理解



 御理解 第77節
 「人の悪いことを、よう言う者がある。そこにもしおったら、なるたけ逃げよ。陰で人を助けよ。」

 簡単な様であって中々難しい事です。人の悪い事を言うと言う事は、言うというだけではなくて、悪い所が目だってはならん。悪い所が目に付いてはならぬ。厳密に言うたらそう言う事だと思うですね。あれは悪い奴じゃと思うから、そう見るから悪口になって来るのですから。人の悪い所が見えん様になる。同時に「陰で人を助けよ」と言った様な事なんかも、愈々もって難しいです。
 網愈々自分というものが分かって来なければならないと思います。人の悪口をまあ言わんように努める。まあそう言う所から入って行かなきゃいけないと思うですけれども、その悪い所が見えなくなる所まで自分が深められていかなけりゃならない。そういう人が人の悪口を言うたりしておりますと、あの人ばっかりは自分の事は棚に上げてと言う事になるのです。自分の事は棚に上げて人の悪口ばかり言う。自分の事は棚に上げてと、自分というものを言わば見極めようとしない。
 何時も棚の上にあげとるから自分が見えない。そして人だけが見える。そこに結局悪口になる。だから悪い所が見えたり、悪口を言うという前に自分自身を矢張り掘り下げてみる事ですね。それこそより以上の悪いものが自分の心の中にある事に気が付きます。もうこれは信心をさせて頂く者の愈々良いものを身に付けていく、言うならば前提になるものです。自分を知ると言う事自分の事を棚に上げると言う事。人が見ても聞いてもおかしいのですから、神様が御覧になったら神様の心に障る筈だと思います。
 これはこれだけにでも焦点を置いて精進させて頂くと、自分というものが愈々はっきり見えてくるにしたがって、有難いものが頂けると思うです。取分けて陰で人を助けると言う様な事なんかは、もう愈々難しい。教えを守ると言う事はね。こういう様なみ教えから手に付けて、言わば身に付けて自分のものにしていかなきゃならん。悪口を聞くと言う事でも矢張り聞きにくい聞き苦しい。
 けれどもまた人の悪口やらは聞き耳を立てたいようなものもある。そういう時に私は、相手の人があんた人の悪口ばっかり言うてと言わずに、それをいわば聞く姿勢ではなくて、出来るだけ逃げよと、こう仰っとられるから逃げる姿勢をとると、悪口を言うておった人がホッと気が付いて、ようそんな事があります。ああそげな事のと言うて聞き耳を立てよると愈々。悪口を相手に言わせる事になりますから。
 こっちが聞き耳を立てない。それを真から聞かない。そうすると言うておる人がホッと気が付いて、ああ自分は人の悪口を言いよったと思って改める。そして話題が変わると言う様な事も矢張り精進です。その場を逃げられない場合もあります。けれども聞くだけは聞くというのではなくて、もう心の中で言わば聞かない。そういう姿勢そういう態度を私は示したら相手も悪口を言わんで済むように。言わば気が付こう。だからここん所を出来るだけ逃げよと仰る所を一つ行の上に表して行かなきゃいけない。
 是は信心によってお互い本当の幸福を頂きたい、人間の幸せを頂きたいと思うならです。人の悪口を言うのが幸せか、又は人のよい所だけを見ていくのが幸せか、いやよい所だけしか見えんようになって行くと言う事が幸せかと考えただけでもすぐ分かる。そして悪いところが目立ったり、悪口を言うたりしておる自分がです。はあまあだ本当の幸せにはまだまだ遠いなあ。本当のおかげは受けられんなあと、先ず自分で思わして貰うが良い。段々人のいうならば良い所が目立って来る。
 そりゃ人間様々良いとこ悪いとこありますけれども、その良いとこだけが見えてくる様な稽古をさして貰わにゃならん。そこに私は幸福があると思うです。人の事をよう悪口を言う人がある。だから悪口を言う人、又はそれを思うと言う事だけでも幸せではないです。皆が素晴らしい人、言うならその人の良い所、もし万一その人が悪口でも言う様な時には、こちらが「そげな悪口を言いなさんな」と言うと気付きますからね。自分がそれを聞き耳を立てずに、こちらが聞かない姿勢を取らせてもらうと。
 ハッと悪口を言うとった人が傷付きます。そういう精進を繰り返させて貰う。お互いが本当に幸せになりたい。それこそ極楽のおかげも頂きたい。所が自分の周辺にですずるい人やら悪い人やらね、汚い人やらばっかりがもし居るとするなら、もうそれはそれだけでも極楽じゃないですよね。もうあん奴ばっかりは鬼のごたる奴じゃあると悪口を言う。もう鬼の中に居る様なものです。地獄ですけれどもそれと反対にです、本当にあの人は良い人じゃ仏様の様な人じゃ。
 本当あの人は心の優しい人じゃ、心の美しい人じゃというのが自分の周辺に一杯ある。初めて私はそれが極楽だと思うです。仏様の様な人やら神様の様な人ばっかりに見えて来る。本来人間は神の氏子と言われるですから、その神性を見る時にです、どういう人でも素晴らしい神性が内容に潜んでおるのです。だからそれを見る目を養うて行くと言う事が信心でもあるのです。
 そこで思うのですけれども、結局自分自身が愈々深められる、自分自身が限りなく愈々美しうならせて頂きませんと、それが美しい風に見えて来ない。自分が色眼鏡をかけておることを忘れて、色が付いておると見える。よく申します。悪口を言われると反発をする。自分が悪かもんじゃけん人まで悪かごと思うと、言う様な反発がありますでしょう正にその通りです。自分が悪い今年よるから。
 人まで悪い事しよる様に見える訳ですね。色眼鏡のままで人を見ると言う事は、いや悪く見えたら、今自分は色眼鏡をかけておるんだと思うて、言うならば信心の眼をもってみらせて貰う陰で人を助ける。散々に人から攻撃を受けたり色々もう口返答が出来ん様に行き詰まって行く様な場面によく出くわしますね。ようテレビなんかでありますね。政治問題なんかの話なんかすると、もうこっぴどくやり込められよんなさる。
 もうテレビ見よってから気の毒して、気の毒して何か祈らずにはおられない様な、それが例えばどう言う様な悪い事をしたというてもです。もし自分がそういう場にあったら、自分ならどうするだろうか、というふうに思った時に矢張り祈らずにはおられない。その祈らずにはおれないというのが、私は陰で人を助けると言う事になるのじゃないでしょうか。テレビ、ラジオ、新聞なんかで、これは悪い奴じゃあるなと、いうのがありますけれども、矢張りそれを祈って行く。
 そういう心の言うならば深さ、豊かさというのが人を助けると言う様な働きになって来るのです。先日からもお話しました事でしたけれども、私の方の椛目の方ですけども、あちらの娘婿であります上野さんが話を致しました。隣の定男さんが失職して、もう大変難儀である、困っておる。本当に家の中の中心になって働いておる人が、言わば首になったというのですから。もう本人よりも勝美さんの方が心配して、それこそ陰ながらの祈り、お取次を頂いて、毎日お届けをさして貰ました。
 おかげを頂いて、先方の方からまた働いてくれという手紙が来た時、もうその時の喜びのお礼というものは、もう自分の事の様に喜んで、お礼お届けがあった。その後にその田中の方からお母さんがお礼に出てきましたけれども、又はお願いもして御座いませんでしたし、けどお礼だけは出て来ましたけども、ああこの事は勝美さんがズーッとお願いしよったよとも言えない位にです。
 あの何か勝美さんの心を汚す様な気がしてですね。これだけ大事にしておるものを、だから申しもしませんでしたけれども、私だけは本当に有難い本当に素晴らしい人だなと思うたんです。本当に陰で人を助ける。そしてその助かっていく姿を見て、自分の事のように喜べる心です。信心というのはそういう心が段々育って行く事だと思うです。これはまた、その母親になります、私の妹になるんですけれども、この人の周辺、悪か人はおらんです。あの人が善導寺の郵便局に何十人か局員の方がおられる。
 もう池尻さんばっかりは馬鹿じゃある。あげな人ば褒めちからと。何時か局員の方が椛目に見えた事があって、この人ばっかりは、もう絶対人の悪口を言いなさらんと。悪口を言うと「あっちゃ、あの人は、あげん良かお方でしょうが」と言うそうですたい。だから、ほんに池尻さんばっかりは馬鹿じゃあると思いよったが、成程信心すると自分の周辺にそういう良か人ばっかりに見えてくる様になると言う事が分かったという話をした事が、聞いた事があります。
 もう人が悪口、本当に、私はあの人が人の悪口を言うとば聞いた事がないです。悪口になると、自分がその人を一生懸命褒める。「あの人はあげん良か人が、あげん良かとこがあるでしょうが」。私だん真似ができんという言い方をするとね。言いよった者も陰を潜めて来る様にですね。池尻親子の例ですけれどもね。段々信心をさして頂いて、自分の周辺に愈々仏様の様な人じゃ。
 神様の様な人じゃが増えて来ると言う事。それが私は言わば神に向こうていく信心であり、それが言うならば自分がいよいよ有難い世界に住んで行く事になると言う事。同時になら陰で人を助けるという。それが助かっていく姿を本当に自分が喜べれる様な心こそが私は神心じやないだろうかと。だからそういう信心の修行をさして貰う。そういう言うなら行き方にならせて頂く精進こそがです。
 なら幸福につながる一番の道であり、その手立てであると言う事が七十七節に伺われます。何でもない人の悪口位悪かろ悪かち言うて、もう当たり前の様な事ですけれども、そこが精進です。そこが教えを守る事なんです。だから言わばおかげが受けられる。言うなら有難いおかげの真ん中に座らせて頂く事が出来る。まあ私共の場合は出来るだけ逃げろと仰る。人の悪口を言うておったら、その場におったらその場を出来るだけ逃げよとこう仰る。そういう逃げさせて頂く位な精進は一つさせて頂きたいもんですね。
   どうぞ。